9月4日(金)に福祉委員会にて「発達障がい学習会について」の内部学習会を行いました

 9月4日(金)に福祉委員会にて「発達障がい学習会について」の内部学習会を行いました。
 講師として熊本県発達障害当事者会Little bit(リルビット)より3名来ていただき、お話を伺いました。
 
◎Littlebit顧問・立命館大学生存学研究センター客員研究員 山田先生のお話 
 発達障がいに関わる問題とは、私たちと発達障がいの人たちの関係性の中で起こる摩擦ではないか。学校や療育の現場では、問題行動を治す、克服すれば良いと思われている傾向がある。はたしてそうなのか?当事者だけの問題とせずに私たちの価値観との不具合によって摩擦が起きているのではないかという視点も必要。今まで家族と支援者の中で気づかなかったことが、当事者会により明るみに出ている。発達障がい者は、社会適応をまずしなければと努力し続けた発達障がい者の中には、過剰適応に陥り、自分らしさや自己実現が抜け落ちてしまう。障がいは個人にあるものではなく、私たちの関係性の中で生まれるのではないか。当事者会では、「障がい」を固定観念では捉えず、多様な視点から捉えることができる場所。皆さんには色々な人にまずは、このような場に参加し、知ってほしい、継続的な交流をしてほしいと思う。また、今後発達当事者の会の常設場所の設置を本気で考えている。
 
◎桐山さんのお話
 小さいころからちょっと変わった普通のとして育てられた。就職した後にアスペルガー症候群の診断を受ける。どこにもぶつけられない自分の感情を発散するように自傷行為を繰り返す。精神的な極限状態でむやみにとめられると余計にしんどい。母親は子どものころからずっと怒ってばかりだった。怒る理由や反省の仕方がわからないので、よけい怒られた。そのために、親や周りに過剰に適応するようになり、常に「よろい」を身にまとうことに。決して適応できないわけではないが、納得すれば行動は変わるストレスを感じないために、限界まで我慢して倒れてしまい、「うつ病」の診断を受ける(二次障がい)わかりにくい障がい特性だからこそ第三者の介入が必要だと思う
 
◎相良さんのお話
 発達障がいの診断は両親には先に伝えてあった。障がいを理解するのに、「個性」と言われると痒いところに手が届かない気持ちがする。当事者の中には、「個性」と思わない人もいれば、「個性」と思って楽になる人もいる。自分は社会に適応しているという安全圏から発せられる、「個性」という言葉はとても危ういと思う。すべての発達障がいの特性を努力して変えなさいと言われると、今の自分はダメなんだと思ってしまう。自分の障がいに関して、当事者だけに原因を求められても困る。治らないので、一般的な病気ではない。日本人が得意とする「察する文化」が自分たちの関係性を複雑にしていると思う。診断の有無に関わらず、障がいを伝えたくない人には、理由や悩みがあると考えるのが妥当ではないだろうか。
 
◎私の感想
 Littlebitさんのお話を聞くのは2回目ですが、聞けば聞くほど深く、発達障がいとは一体何なのか、答えが出ないと思いました。私たちは理解をする過程で、わかりやすい端的な一言の表現で全てを理解しようとする傾向があるのですが、発達障がいにはそれは全くあてはまらないと思いました。むしろ、今後も継続して考え続ける必要性があるのだと考えました。相良さんの資料の中に、“「他者を通して自分を知る」ための存在として、特に発達障がい者には意義があるともいえるのではないか”という言葉があります。発達障がいと向き合うことは、自分自身と向き合うことであると私も感じています。見ただけ、話しただけではとても理解できないし、何度交流しても答えが出ないからこそ、私たちは向き合い続けるべきであり、それは当事者会も望まれることであると思います。みんなが自分らしく生きる社会を実現するには、まずは他者を知ることから始まるのだと改めて感じました。そして、何が必要なのか、自分たちが相手をどう思っているのかを意見交換することで、社会は少しずつ前に進むのかもしれないと思いました。
 
                 福祉委員会 委員長 中山麻美さんより寄稿
 
 





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